第11話 何故、はがれる?
網膜剥離の謎

 網膜剥離という病気は、飛蚊症の原因としてよく耳にされていると思いますし、またボクシングの選手生命にかかわると話題になったので、ご存じの方が多いと思います。

 網膜は光を感じる膜で、映画で言えばスクリーン、カメラで言えばフィルムにあたる部分です。目の玉の内側に張り付いているセロファンのような薄い膜です。いわば、白目の壁に貼られた壁紙のようなものです。この壁紙が壁から剥がれるのが網膜剥離ですが、これが思いの外、簡単に起こってしまうのです。

 たとえば、網膜に何らかの原因で小さな穴が開いてしまうと、その穴から目の中を廻っている綺麗な水が壁と壁紙の間にどんどん入ってきて、壁から壁紙が浮いてきてしまう(網膜剥離の状態)のです。放っておくと網膜が全部剥がれてしまうこともあります。

 こんな事は、通常、身体の他の部分では考えられません。皮膚でたとえれば、カッターナイフか何かで指先を少し深く切ってしまったとします。出血も止まったので、そのまま風呂に入ったところ、その傷口から風呂の水がどんどん皮膚の下へ入っていって、体中の皮膚が浮いて剥がれてしまった、という状態に匹敵します。

 なぜ、網膜ではいとも簡単に、剥がれるというような事態が起こってしまうのでしょうか?

 それは網膜の構造に問題があると考えられています。

 網膜は薄い膜ですが、その断面を顕微鏡で拡大してみると、その構造の違いから地層のように10の部分に分けることができます。網膜剥離は、目の内側から数えて9層目と10層目の間で起こります。すなわち、網膜剥離と言っても、網膜10層の内、内側9層が外側1層を壁に残して剥がれるのです。この9層目と外側1層の間のくっつき具合が極めて弱いのです。

 網膜の内側から9層目は、光を感じる細胞の光を感じる部分の層です。主に明るい暗いを感じる細胞のこの部分の形は丸い棒状(杆体)で、色を感じる細胞のそれは円錐型(錐体)なので、杆体錐体層と呼ばれています。
 外側から1層目、つまり内側から10層目は、色素の多い細胞が綺麗に一層に並んでおり、網膜色素上皮層と呼ばれています。この細胞の目の内側側、9層目側には、絨毯ようにたくさんの毛が生えています。色素が多いため、光が目の中で乱反射しないように、光を捉えやすいように、ちょうどカメラの中が黒く塗られているのと同じ役割を果たしていると考えられます。
 光を感じる部分が、前から遠い9層目に位置しているのも、光を捉えやすいように色素上皮に接するためでしょう。

 で、この9層目と10層目のくっつき具合というと、杆体・錐体が色素上皮層の毛の中に頭を突っ込んでいるだけです。通常、細胞と細胞の間は、何カ所か留め金のようなもので固定されていますが、それがありません。網膜色素上皮細胞(10層目)が、細胞の間の水を内側から外側へ常にかい出して、9層目と10層目の間に陰圧を作り出しているので、張り付いているだけなのです。ちょうど濡れたハンカチがガラスに張り付いているようなものです。

 ですから、その網膜(内側9層)に穴が開くと、陰圧が保てなくなり、9層は色素上皮層を残して剥がれていくのです。

そのような構造になったのには訳があります。

 それは、赤ちゃんの目がお母さんのお腹の中で形作られる時に原因があります。
 赤ちゃんの目は、脳や脊髄など神経の元になる部分から、まさしく芽のようにはえてきます(1)。そしてその先は、まず丸く膨らみます(2)が、次に膨らんだ先が徐々に凹んで、ワイングラスのような形になります(3)。大きくなるに従って、内側に凹んだ部分は外側にぺったりくっつき、一枚の膜のようになっていきます(4)。

 実は、この一見、一枚に見える2重の膜の外側と内側の境が、網膜の9層目(杆体錐体層)と10層目(網膜色素上皮層)の間なのです。

 このように、もともと一枚の膜が折れ曲がって2重になっているのが目の玉の壁です。折り曲げただけで、接着剤を流し込んだわけでもないので、その間の接着力が極めて弱いと言えます

 このような理由で網膜は、小さな穴が開いた(裂孔原性網膜剥離)だけなのに、あるいは、網膜が内側からちょっと引っ張られた(牽引性網膜剥離:糖尿病網膜症や未熟児網膜症など)だけでも剥がれてしまうのです。
目は、長い年月をかけて原始的な生物から進化してきました。単に明るい暗いだけが解るものから、形が判別でき、色も見えるようになりました。中には赤外線や紫外線が見える目や、もっと解像度の高い目を持つ動物もいますが、総合的に見て人間の目はかなり優秀と考えます。
 視覚能力を高度に発達させるために多少構造的に無理が生じたようで、デリケートな部分ができてしまったのかもしれません。精密機器であるカメラを、大事に扱わなければならないと同じかもしれません。
 網膜剥離の前兆は、飛蚊症の急な変化(数が急に増えたり、急に大きくなる)や、暗いところで目の隅に稲光のような光が走ることが多いです。そのようなことに気付かれたら、痛くなくても、視力が落ちていなくても、眼科を受診して下さい。